DAMN YANKEES
Damn Yankees-Coloured/Hq- [Analog]
1989年から1990年初頭にかけて衝撃的なニュースが舞い込みます。
「DAMN YANKEES 」
このバンドのメンバーはアメリカのロック界で充分なキャリアを積んできたツワモノ揃いで、アメリカのロックに詳しい人達の間で話題が持ちきりでした。
情報網はインターネットがまだ一般的な手段ではなく、テレビ、ラジオ、雑誌といったメディアが主体でした。
このニュースを聞いたのは近所の楽器店の店員からで、かなり興奮気味に話す内容が当時の私には、まだ聴いたこともないミュージシャン、バンド名のため、記憶には残らなかったのですが、音を聴いた瞬間、ハマってしまいました。
慌ててバンド名をもう一度聞き、紙に記入し(笑い)発売日を心待ちにしました。
コーラスワークが最高に心地よく、当時よく聞いていたヴァレンシア、ネルソンと共に当時のアメリカのロック音楽界を象徴する存在です。まだ音楽業界がギラギラしていたころです。
テッド・ニュージェント
中でもフロントの3人の組み合わせが最高です。
ギターのデッド・ニュージェントはデビューが1967年!
で、「アンボイ・デュークス」でリードギターを弾いています。
解散後1975年にはソロデビューしています。
体も大柄でワイルドな風貌がこのギタリストの野性的で力強いギターサウンドを演出します。
トミー・ショウ
ギター・ボーカルのトミー・ショウは1976年、
「スティクス」へ加入し、1977年に発表した「グランド・イリュージョン」がヒットしバンドは一気に有名になり、
これをきっかけに次々とシングルカットされた曲がアメリカのチャートを賑わすこととなります。
80年代に入るとスティクスは更に飛躍的にアルバム、コンサートを成功させ、名・実ともにアメリカを代表するバンドの1つとなるのですが、メンバー間の方向性の違い(ポップ路線かロックを追求するのか)が表面化し、メンバーの脱退、再加入などのゴタゴタに嫌気がさし始める。
とうとう1983年にはスティクスを脱退し、
ソロでの活動を始めますが、持ち前の作曲センスはソロアルバムの成功が証明しています。
ポスターN021ダムヤンキースDAMN YANKEESB2サイズ
ジャック・ブレイズ
ベース・ボーカルのジャック・ブレイズはナイトレンジャーでの活動が有名ですが、1980年代はバラードソングで有名になります。全体的には軽快なハードロックが主体で、当時のLAメタルブームにも乗り、一躍有名バンドとなります。
このバンドは2人の対照的なギタリストと2人のボーカルがいることが特徴で、日本公演もおこなっています。
また、ギターのブラッド・ギルスが飛行機事故でこの世を去ったランディ・ローズの代役としてオジー・オズボーン・バンドに参加し、来日公演をこなすなど、話題を増やすことになります。
短い活動期間とその後
Extended Versions
この3人の放つ王道のアメリカン・ロックサウンドはキャッチャーで爽快なメロディと繊細なコーラスワークで聴くものを一瞬で惹きつけるところは流石で、長年キャリアを積んできた重みのようなものを感じます。
日本でもヒットした「High Enough」がリーバイスのCMに起用され、ヒットする。
2人のボーカルもタイプの違う声質のためコーラスワークが幅広く、90年の「DAMN YANKEES」と92年の「ドント・トレッド」の2枚のアルバムを発表したのち、テッド・ニュージェントがソロキャリアを再開したことから自然消滅してしまう。
ジャック・ブレイズもナイトレンジャー再結成に参加し、
トミー・ショウもスティクスの再結成に加わり
それぞれ活動するが、この2人はその後も「ショウ・ブレイズ」としての活動やソングライティングを行なっている。
エアロスミス、オジーオズボーン、などへの楽曲提供もされています。
またドラムのマイケル・カーテロンは、その後「ショウ・ブレイズ」や「アクセプト」、「レーナード・スキナード」へ参加している。当初は「ダムヤンキース」3枚目のアルバムの話もあったようですが実現していません。
しかし、噂では何曲か録音して音源があるのでは?と言われています。
現在ではテッド・ニュージェントも70歳を超えて高齢化になっており、ツアーは無理だとしてもアルバムのために再結成を希望するバンドの1つでもあります。