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世界一有名なギタリスト エリック・クラプトンとレイラ

ライブ会場 ギタリスト、ミュージシャン
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ギタリスト
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デビューから50年以上

デビューから50年以上、時代とともにサウンドを変化させながらブルースをルーツにこの荒々しい音楽業界で生き抜いてきたトップアーティストとして走り続けているスーパーギタリストの栄光の歴史と苦悩を紹介していきます。

ブルース少年

1945年3月30日イギリスはサリー州リプリーに生まれ幼い頃から独学でギターをマスター。
また、複雑な家庭環境だったことを自伝で告白しています。

60年代はイギリスでもブルースが全盛で、彼もブルースにのめり込んでいきます。
育てられた祖父母の家では祖母がピアノを演奏し、祖父もビッグバンドを好んで聞いていたので音楽に触れる機会は多かったのかもしれません。
13歳で手にしたドイツ製Hoyerギターから、16~7歳でES-335のコピーモデルを購入するのに祖父母に援助してもらうなどの記述もあります。

後のインタビューで、「この頃知り合った連中がマディ・ウォーターズだとかリトル・ウォルター、ビッグ・ビル・ブルーンズィー、ロバート・ジョンソンなんかが好きでね。それがヤードバーズのオリジナルメンバーになった。」と語っています。

ヤードバーズ、ブルースブレイカーズ

いくつかのバンド活動を経験したのち、ロンドンで有名になっていたヤードバーズに加入します。

64年に加入し名声を得ることになるのですが、ポップな路線へ向かうバンドとの意見が対立し、65年には脱退してしまいます。

ブルースを追求するジョン・メイオール・ブルースブレイカーズに加入しフレディ・キングの曲などを演奏している。

この頃には「clapton is god」とロンドンの街中で描かれた落書きから、ギターの神と呼ばれていだそうですが、「スローハンド」というニックネームがこの頃には付いていました。

ブラインドフェイス、デレク&ザ・ドミノス、クリーム

1969年にはスティーヴィ・ウィンウッド、ジンジャー・ベイカーらとブラインド・フェイスを結成し話題となりますが、これも1枚のアルバムを残しただけで解散してしまいます。

その後、アメリカ南部の音楽に魅了されたとして、デラニー&ボニー&フレンズのバックメンバーとしてバンドに参加します。

70年にはデラニー&ボニーやレオン・ラッセルの協力を得て初のソロアルバムを制作。

その流れでデレク&ザ・ドミノズを結成しデュアン・オールマンをゲストに名作いとしのレイラが生まれます。

このデュアン・オールマンのスライドギターが特徴的でいい味になっています。

その後ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーと共にクリームを結成するのが1966年の事で、トリオ編成によるジャムセッションや即興演奏などで評価を得るのですが、人間関係が悪化しバラバラになってしまうのです。

ギター画像

歴史に残るメインギター

この頃に使用されていたギターが1956年製の2トーンサンバーストカラーのメイプルネックのフェンダー・ストラトキャスター(通称ブラウニー)です。

これは1967年に購入し、先のソロアルバム「エリック・クラプトン・ソロ」まで使用。
このブラウニーはアルバムジャケットに写っているギターだとされています。

その後は、これも有名な「ブラッキー」が主役となってしまった為にあまり使われなくなり、1999年のオークションに多数のギター(104本とも言われています)出品され、
現在はアメリカのシアトルにある音楽史美術館「エクスペリエンス・ミュージック・プロジェクト」に収蔵されています。

また、気になる「ブラッキー」の方ですが、当時はストラトキャスターは不人気の為、楽器店や中古店の価格も処分価格だったそうです。

1970年にナッシュビルにあったSho-Budという楽器店で1本当たり100ドルで購入、6本買った中から、3本はジョージ・ハリスン、ピート・タウンゼント、スティーヴィ・ウィンウッドに譲り、残り3本(1956〜1957年製)を分解して最良のパーツを組み上げて作られたと言うのは有名な話です。

その後ジミ・ヘンドリックスの人気によって再評価されます。

クリームも解散し、苦悩の時代に

1971年にはセカンドアルバムを製作中にバンドはまたまた空中分解してしまいます。

この頃からドラッグに溺れてしまい、しばらく表舞台から姿を消してしまいます。

1973年1月のレインボーコンサートでブラッキーが初登場し、演奏しています。

その後1974年にはボブ・マーリィのカバー曲「アイショットザ・シェリフ」は全米1位を獲得し、緩やかな空気感が当時の音楽シーンに衝撃を与えました。

その後もザ・バンドやボブ・ディランとの交流を深め、「レイドバック」をキーワードに作品作りが行われました。

ベテランミュージシャンも変化を求められる時代に

苦悩の80年代
この頃音楽シーンはハードロックやLAメタルがチャートを賑わせており、ブルースを追求するスタイルのミュージシャンには辛い時期となっています。

そこでフィル・コリンズやラス・タイトルマンらのプロデュースにより、1989年には「バッド・ラブ」でグラミー賞を獲得しています。

また離婚やアルコール依存症など影の部分が私生活に見え隠れします。

不幸のどん底から成功へ

試練を乗り越える90年代
91年には当時4歳の息子を不慮の事故で亡くすと言う悲劇が起こりましたが、私生活の不幸を見事に跳ね除けてしまいます。

MTVのアコースティックスタジオライブ「UNPLUGGED」が驚異的なヒット、その中で「Tears ㏌ HEAVEN」「CHANGE THE WORLD」の世界的ヒットにより、アコースティックギター、ボーカリストというイメージが幅広い世代の知名度を上げることになりました

また一方でブルースカバーアルバムFrom the cradleとそのツアーなどでコアなファンを唸らせることも忘れてはいません。

ギター画像



このアンプラグドの後のインタヴューでは、この時のステージをかなり楽しんだようで「アンプラグド」で演奏したカバー曲のほとんどが子供の頃に聴いていた曲で、自分に影響を与えた曲をプレイするいい機会になった。と語っています。

しかも
「アンプラグド・ショウ」は前から知っており、ドン・ヘンリー、ホール&オーツを観て自分でもいつかアコースティック・ライブをやりたいと思っていたようで、その時のためにあえて観ないようにしていたと言います。
プレイした時に誰かの影響を受けていると言われるのが嫌だと思った、白紙の状態でアコースティック・ライブを演る最高のチャンスだと語っています。

最初は自分がソロで演るのがいいのか、もう一本のギターとベースを入れた方がいいのか考え、メンバーを集めて2日くらいリハーサルをやっていくうちに最高のサウンドになったとのこと。

ギターパートナーのアンディ・フェアウェザー・ロウは以前からの知り合いで、素晴らしいアコースティックギター・プレイヤーであり、ブルース、フォーク・ミュージックに造詣が深いということが分かっていたから、2人で複雑なパターンを考えたり、ちょっと変わったことを演ることもできた。

またネイザン・イーストにはウッドベースを弾いてもらい、エリック自身はアコースティックギターではフラットピックやサムピックをうまく使えないからフィンガーピッキングを中心にしたそうです。
「指先を痛めることはあるけど一番簡単で、音が良い」と語っています。

成功から社会貢献

2000年代の充実ぶり
1999年より始めているドラッグ・アルコール中毒患者の更生施設「クロスロードセンター」の運営資金援助の為、上記のギターコレクションをオークションに出品するなど社会に貢献する活動を行っています。

またB.Bキング、J.Jケイルとの共作、ロバート・ジョンソンのカバーアルバム新たな家庭を築き生まれたアルバム「BACK HOME」などブルースの探究が商業的にも成功し充実した音楽活動ができているようです。

2002年のイギリス女王即位50周年式典ライブでのポール・マッカートニーとの共演、2004年の受勲、
2005年のクリーム再結成ライブ、スティーヴ・ウィンウッドとのライブ共演など

2010年代になっても精力的に日本でもライブツアーを行なっています。2015年のブルースの殿堂入り
2017年には自身のドキュメンタリー映画が制作されたりと話題は事欠きません。


しかし、70歳を超えた事から近年では、聴覚障害やギターの演奏にも支障が出ているという情報が、多くのファンを心配させましたが、2019年4月にも日本公演を5公演行い、健在ぶりを示しています。

使用ギター

  • ヤードバーズ時代
    フェンダー・テレキャスターを使用。
  • ブルースブレイカーズ時代
    ギブソン・レスポール 1960年製 フレディ・キングに憧れて購入したという。この時代にレスポールとマーシャルアンプの組み合わせが完成しています。
  • クリーム時代
    ギブソン・SG サイケデリックペイントが施されている
    ギブソン・ES-335 ブロックポジション・インレイ仕様の1964年製
    ギブソン・ファイアーバード
  • ブラインド・フェイス時代
    ストラトキャスターのネックを付けたフェンダー・テレキャスター・カスタムを使用。
    ギブソン・ES-335  ブロックポジション・インレイ仕様の1964年製
  • デレク&ザ・ドミノス
    フェンダー・ストラトキャスター(通称ブラウニー)1956年製
    ギブソン・レスポール
  • ソロ期
    フェンダー・ストラトキャスター(通称ブラウニー)1956年製
    フェンダー・ストラトキャスター 1954年製ハードテイル(ノントレモロ)スライド奏法用

    1973年より
    フェンダー・ストラトキャスター(通称ブラッキー)1956~57年製をコンポーネント。
    1985年のツアーまでメインとして使用、以後引退。

    1986年以降はフェンダーレースセンサーピックアップを搭載した、ミッドブースト付きのストラトキャスター、シグネチャーモデル、ブラッキーを使用するようになる。

    2000年以降はピックアップをヴィンテージ・ノイズレスピックアップへと変更。
  • アンプラグド
    マーティン 000-42 アンプラグドTVで使用されたモデル
     
    マーティン 000-28  近年のライブで使用。自身の モデル000-28ECも発売されている。

使用アンプとエフェクター

ギブソンのギターを使用していた初期の頃はマーシャルを組み合わせていましたが、
ストラトキャスターを使うようになってからは概ねミュージックマンやフェンダーのアンプを使用しています。

エフェクターに関しても、WAHペダル、コーラス、レズリーとシンプルなセッティングです。

このシンプルな組み合わせで、彼の演奏スタイル「速いフレーズなのに手の動きがゆっくりに見える」ことから「スローハンド」のニックネームで呼ばれています。
流麗さと粘りを併せ持つソロを渋く聴かせるブルース最高峰のギタリストです。

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