ジミーペイジ、ギタリストの経歴書と作品に彩を与えたギター

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世界で最も成功したロックバンド、レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジ


 

解散して40年の月日が経とうとしているのに、未だにロックミュージックの話になると出てくるように、世界中でも今なお絶大な人気を誇るバンド、レッド・ツェッペリン。

中心人物であるジミー・ペイジはギタリストのみならず、コンポーザー、またプロデューサーとして70年代のロックシーンに大きな足跡を残しています。

バンド解散後は新たな音楽活動と並行しツェッペリンの音源、映像の管理をしているようです。

再結成ライブやリマスター盤やボックスセットのリリース、未発表ライブ音源や映像のリリースなど、現在でも需要があり、幅広い世代に支持されています。

スタジオ・ミュージシャンからヤードバーズ

セッション・ミュージシャンへの歩み
1944年1月9日、イギリスはミドルセックス州ヘストンに生まれ、13歳でギターを始めだそうです。

1962年ニール・クリスチャン&ザ・クルセイダーズに参加し、その後はスタジオ・ミュージシャンとして活動、1965年ソロ・シングル「シー・ジャスト・サティスファイズ」をリリース

1966年にはプロデューサーとしての仕事を開始します。

そんな頃ヤードバーズにベーシストとして加入するも、すぐにギターに切り替え(1週間程度だったらしい)、ジェフベックとのツインギターとなります。
エリック・クラプトンの時代と違い、ポップな要素がうすくなっているように感じ、ダークな雰囲気が出てきます。

ジェフベックは気難しい性格だったことようでライブにも出てこないこともあったということです。よって半年ほどで脱退してしまいます。

その後、「リトル・ゲームス」(1967年)をリリースしますが
1968年7月またもメンバー脱退のために解散の状態になります。

すぐにジョン・ポール・ジョーンズ(b.key)、ロバート・プラント(vo)、ジョン・ボーナム(ds)というメンバーで新バンドを結成します。

レッド・ツェッペリン誕生から解散まで

アルバムジャケット

1968年9月からニュー・ヤードバーズの名で北米ツアーをスタート。これはヤードバーズとしての契約を消化するためといわれています。

バンド名をレッド・ツェッペリンと改め、1969年1月デビューアルバム「レッド・ツェッペリン」をリリースし話題になります。時代もベトナム戦争が激化しつつある中ということもあり、今からすれば時代を感じさせられる作品です。

同年8月にセカンドアルバム、「レッド・ツェッペリンⅡ」をリリースします。デビューアルバムから間もないうちに、ツアーの合間に作曲し時間のない間にここまでの完成度の高い作品を創り上げた各メンバーの融合が素晴らしく、アレンジ力も完璧です。

1970年「レッド・ツェッペリンⅢ」では、大胆な路線変更を行います。

これは3rdアルバム制作前にジョン・ボーナムと休暇で訪れたウェールズのスノウドニアにあるコデージで電気もない大自然を満喫した際に創作活動を行なっていたようで、アルバムの半分以上はアコースティックサウンドで、それまでのハードロックだけでなく幅広い音楽性を表現しています。

1971年の「レッド・ツェッペリンⅣ」というアルバムタイトルは正式名称ではなく、実際はタイトルがない。そのため色んな呼び方をされています。

更に前作では一部、批判的だった事からアコースティックとハードなサウンドの融合を推し進め、天国への階段という名曲が生まれます。と、同時にレッド・ツェッペリンのアルバムでは1番売れたアルバムとなっています。

続いて「聖なる館」1973年、「フィジカル・グラフィティ」1975年、「プレゼンス」1976年、ライブアルバム「永遠の詩」1976年、「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」1979年をリリースし、黄金時代を築きます。

80年にはヨーロッパツアーを終え、北米ツアーを控えた9月25日、ドラムのジョン・ボーナムが過度の飲酒が引き金となり他界。12月4日には解散声明を発表します。

アルバムジャケット

レッド・ツェッペリン最終章、ファーム、 カヴァーデイル・ペイジ 解散後のソロプロジェクト

1982年には、映画「ロサンゼルス」のサウンド・トラックを手掛け、レッド・ツェッペリンの未発表曲を集めた最終アルバム「コーダ」をリリース。

1983年には、ARMSコンサートでジェフ・ベック、エリック・クラプトンと共演。

ここで進行を深めた元フリー、元バッド・カンパニーのポール・ロジャースとバンド「ファーム」を結成し、「ザ・ファーム」1985年、「ミーン・ビジネス」1986年をリリース
ロバートプラントの覆面プロジェクト「ハニー・ドリッパーズ」にも参加しています。

また、1988年今のところ唯一のソロアルバム「アウトライダー」を発表。

1990年には、ツェッペリンの復刻プロジェクトがスタートします。4枚組のボックスセットをリリース
さらに1993年には元ディープパープル、ホワイトスネイクのデイビッド・カヴァーデイルと「カヴァーデイル・ペイジ」をリリースし、来日公演も行なっています。

1994年にはMTVのアンプラグドに登場。
ロバート・プラントとのジョイントで「ノー・クオーター」をリリース。1996年にはペイジ・プラントで来日公演も行っています。

1997年にはツェッペリン時代の未発表ライブ・アルバム「BBCセッションズ」をリリース。

1998年ペイジ・プラントの2ndアルバム「ウォーキング・イントゥ・クラークスデイル」を発表。

レッド・ツェッペリン再結成 2000年以降も人気は加熱

2000年にはブラック・クロウズとツアーを開始。
ツェッペリンの曲をアレンジしてプレイ。このライブは「ライブ・アット・ザ・グリーク」としてリリース。

2003年にはまたもツェッペリンの未発表ライブアルバム「伝説のライブ」とDVD「レッド・ツェッペリンDVD」を発表。

2007年にはベスト・アルバム「マザーシップ」、その拡大版「永遠の詩熱狂のライブ〜最強盤」とDVD「熱狂のライブ、スペシャル・エディション」をリリース。

同年12月10日にはロンドンで行われたアーメット・アーティガン(アトランティック・レコードの創設者)の追悼コンサートにて、一夜限りの再結成を果たしています。

これまで再結成したのは、85年7月13日のフィラデルフィアで行われたライブエイド88年5月14日、ニューヨークで行われたアトランティック・レコード40周年記念コンサート以来3度目です

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ジミーペイジのレスポール、テレキャスター

ギターから

トレードマークともなっているギブソン・レスポール・スタンダードですが、
初めは1971年製レスポールカスタム、ブラックを使っていましたが盗難にあい、その後に1958年製と1959年製のスタンダードを入手してメインギターとしています。この2本が代表的なメインギターとなります。

初期のギターとして有名な1958年製フェンダー・テレキャスター
ジェフベックから譲り受けたというこのギターはヤードバーズ時代、レッド・ツェッペリンの1stアルバムでの使用に加え、「天国への階段」でもソロで使用。

1970年代後半で使用されたストリング・ベンダー付きのテレキャスターの使用も有名です。

続いて1960年代前期のレイク・プラシッド・ブルーのフェンダー・ストラトキャスターは「イン・ジ・イブニング」で使用。

「天国への階段」、「永遠の詩」などで使われた12弦ギターは、フェンダーのエレクトリックⅫが使用されましたが、ステージでは、ダブル・ネックのギブソンEDS-1275を使用しています。

また、「ホワイトサマー」、「カシミール」で使用している、ダンエレクトロ3021も有名です。

1980年代以降には、ストリング・ベンダー付きのレスポールDTS(デジタルチューニングシステム)が搭載されたレスポールも使用されてます。

この他にもアコースティックも含めて使用ギターは多岐にわたっています。

アンプとエフェクター

アンプ、エフェクター
ヴィンテージ・マーシャルがメインですが、スタジオではスプロVOXスーパー・ビートルなども使用されています。

エフェクターはロジャー・メイヤー製作のディストーションJENのクライ・ベイビーマエストロのエコー・プレックスMXRのフェイズ90などを使用していますが、ギターと違いシンプルな印象です。

ジミーペイジ1959年フェンダーテレキャスター

ギター画像

ジェフベックから譲り受けた1959年製テレキャスターは時代と共に風貌が変化していますが、①ノーマルの状態、②丸型の鏡がボディに張り付けられた通称ミラー、③ボディの塗装が剥がされ、ドラゴンのペイントが施された通称ドラゴンの3タイプが発売されていましたが、カスタムショップ製はまだ実物を見たことがありません。ドラゴンは是非欲しいのですが世界50セットの限定品です。

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