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Ritchie Blackmore/ハードロックにクラシック要素を完成させたギターヒーロー

ライブ会場 ギタリスト、ミュージシャン
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ウォーターワン

Fender エレキギター Ritchie Blackmore Stratocaster®, Scalloped Rosewood Fingerboard, Olympic White
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楽天リーベイツ(Rebates)

リッチー・ブラックモア

ブルースロック主体であった1960年代後半、ディープパープルはクラシックのフレーズやハーモニックマイナーを導入し、ネオクラシカルといったジャンルを確立する。

ギターを持った少年

演奏スタイルと機材

  • 第1期DEEP PURPLEまで
    GIBSON ES-335 1961年製をメインで使用
  • 第2期DEEP PURPLE
    GIBSON ES-335 1961年製 を1970年まで使用。
    アルバム「インロック」でも一部使用


    FENDER STRTCASTER 1968年製ブラック 貼りメイプル指板

    FENDER STRTCASTER 1971年製サンバースト メイプル指板

    FENDER STRTCASTER 1972年製ブラック  メイプル指板

    FENDER STRTCASTER 1972年製サンバースト メイプル指板

    FENDER STRTCASTER 1972年製ナチュラル メイプル指板
  • RAINBOW期
    この時期を境にストラトはラージヘッドのローズウッド指板に変わる。
    FENDER STRTCASTER 1974年製ホワイト ローズウッド指板

    FENDER STRTCASTER 1974年製サンバースト ローズウッド指板

    FENDER STRTCASTER 1977年製ホワイト ローズウッド指板

ギター詳細、アンプ等

カタログ

ストラトに関しては初期の頃はラージヘッドのメイプル指板で統一されていたようです。

なおこの頃から指板にスキャロップ(フレットとフレットの間をヤスリで削る)加工を施し、太く長いトレモロアーム(ステンレス?)と共にトレードマークになります。

これは素早いフィンガリング、激しいアーム使用に耐えるよう交換されたものです。

個人的にはスキャロップ加工のギターは指が指板に触れない(スキャロップの深さにもよりますが)ため、チョーキングもスムーズに素早く行えますが、押弦のときの力加減によっては音がシャープしてしまうので”慣れ”が必要なのと、音質も若干ですが線が細くなるように感じます。

またセンターピックアップも使用しないことから初期はピックガードギリギリまで下げられており、後年は取り外してしまっています。

ピックはホームベース型の本鼈甲

弦はPicato RB77 0.10~0.48ニッケルワウンド

エリッククラプトンから勧められて以降、使用している弦ですが、生産数が少ないのか現在では入手が難しくなっているようです。

アンプは1968年から1991年まで長らくマーシャル200Wモデル1967を使用していましたが、オリジナルではなくその時々で改造がされていたようです。

再結成レインボーではENGL SAVAGE120を使用しており、後にENGLよりシグネイチャーモデルが開発されている。


エフェクターはワウペダルに加え、歪み系では

第1期DEEP PURPLEではマーシャルのリバーブ・ファズ・ユニット

第2期DEEP PURPLEではHornby Skewesのトレブル・ブースター、ダラス・アービターのファズフェイスなど

回転系は
RAINBOW時にコンパクト・フェイジングA

残響系では
第3期DEEP PURPLEよりアイワのオープンリール・テープレコーダーTP-1011

RAINBOWではオクターバー

再結成DEEP PURPLEではローランドのギター・シンセサイザー


Fender Ritchie Blackmore Stratocaster Electric Guitar Olympic White [並行輸入]

プレイスタイル

プレイスタイルでは強烈なアームの使用と強力なチョーキングのコントロールが絶妙で、現在のロックギターの先駆者と言えるでしょう。

また3連譜、4連譜の正確さとスピード感は当時としては驚異的でしたし、ブルースがベースにあるのですが、バッハなどのクラシック要素を取り入れた、ハーモニックマイナースケールの使用によりスリル感のある世界観が聴く者を惹き付けていきます。

Biography

1945年4月14日、イギリス南西部、サマセット州ウエストスーパーメアで生まれ、11歳よりクラシックギターのレッスンを受ける。

14歳でエレキギターにスイッチし、学校を卒業してからはロンドン・ヒースロー空港で技師として働きながらローカルバンドで活動していましたが、ドイツのハンブルクに移り、音楽に専念する。

そんな頃ロード・サッチと出会い、プロとしてキャリアをスタートしている。

アウトローズ、マンドレイク・ルートなどバンド活動も行うが軌道に乗ることはなかったようです。


Getaway

DEEP PURPLE


Guitar Gods [DVD]

ザ・リッチー・ブラックモア・ストーリー+レインボー – ライヴ・イン・ジャパン 1984【5000セット完全限定生産/Blu-ray(ドキュメンタリー)+DVD&2CD(ライヴ)/日本語字幕付/日本語解説書封入】

第1期


RB Tribute Strap/リッチー・ブラックモア トリビュート・ストラップ / 2枚革ステッチ仕様

1967年、ジョン・ロード(key)と共にラウンドアバウトというバンドから派生したディープ・パープルが完成し、
イアン・ペイス(ds)、ロッド・エヴァンス(vo)、ニック・シンパーbというメンバーで
第1期ディープ・パープルはサイケデリックロックサウンドで3枚のアルバムを発表。

この頃ギブソンES-335をメインに使用している。

 発表作品
・Shades of Deep Purple ハッシュ(1968年)
・The Book of Taliesyn 詩人タリエシンの世界(1968年)
・Deep Purple ディープパープルⅢ(1969年)


詩人タリエシンの世界

第2期


ファイアボール

第2期ディープパープルはイアン・ギラン(vo)とロジャー・グローバー(b)が加入し、
「インロック」(70年)以降、リッチー・ブラックモアが主体となってハードロックに舵を切り、今では名作となっている作品を作り出している。

発表作品
・Deep Purple in Rock インロック(1970年)
・Fireball ファイアボール(1971年)
・Machine Head マシンヘッド(1972年)
・Who Do We Think We Are 紫の肖像(1973年)


紫の肖像(リマスタード・デラックス・エディション)

第3期


This Time Around: Live in Tokyo

1974年には再度メンバーチェンジをし、デヴィッド・カヴァーデイル(vo)とグレン・ヒューズ(b、vo)が加わり、第3期ディープ・パープルとなる。

カリフォルニアジャムのステージなど伝説を残すのですが、バンドは次第にファンク色が強くなり、リッチーは意欲を無くしていく事になる。
1975年4月のパリ公演を最後に脱退。

 発表作品
・Burn 紫の炎(1974年)
・Stormbringer 嵐の使者(1974年)


レインボー トートバッグ 黒/RAINBOW RISING TOTE BAG BLACK公式グッズ/Ritchie Blackmore/リッチー・ブラックモア/DEEP PURPLE

RAINBOW

1975年ロニー・ジェイムス・ディオ(vo)を含むエルフを吸収するように、レインボーはスタートする。

音楽性も当初はディープ・パープル同様の路線であったが、中世ヨーロッパの雰囲気を取り入れていく。

 発表作品
・Ritchie Blackmore’s Rainbow 銀嶺の覇者(1975年)
・Rising 虹を翔る覇者(1976年)
・Long Live Rock ‘n’Roll バビロンの城門(1978年)


バビロンの城門(アーチ)(紙ジャケット仕様)

第2期レインボー~

その後メンバーチェンジが繰り返され、グラハム・ボネット(vo)、ジョー・リン・ターナー(vo)へと変わっていく。

アメリカ市場を意識したポップス寄りに変化していき、商業的成功を収めていたのですが、1976年に解散していたディープ・パープルの再結成のため、1984年来日コンサートを最後に活動休止となる。

 発表作品
・Down To Earth ダウン・トゥ・アース(1979年)
・Difficult To Cure アイ・サレンダー(1981年)
・Straight Between The Eyes 闇からの一撃(1982年)
・Bent Out Of Shape ストリート・オブ・ドリームス(1983年)*ジョー・リン・ターナー(vo)
・Stranger in Us All 孤高のストレンジャー(1995年) *ドゥギー・ホワイト(vo)


ダウン・トゥ・アース

再結成ディープパープル

8年のブランクを経て、第2期のメンバーで再結成されたディープ・パープルは世界的なヘヴィメタルブームにのるが、

1989年にはイアン・ギラン(vo)が脱退し、ジョー・リン・ターナーが加入。

発表作品
・ Perfect Strangers パーフェクト・ストレンジャーズ(1984年)
・The House of Blue Light ハウス・オブ・ブルー・ライト(1987年)


また1992年にはイアン・ギランが再度復帰し「紫の聖戦」を発表、
その後1993年11月イアン・ギランとの不仲により、リッチー・ブラックモアが脱退してしまう。

 発表作品
・ Slaves and Masters スレイブス・アンド・マスターズ(1990年)
・The Battle Rages On 紫の聖戦(1993年)

 
その翌月に来日公演の予定だったディープ・パープルは、ジョー・サトリアーニ(g)を代役に僅か2日間というリハーサル期間で来日公演を成功させている。

その後のヨーロッパツアーにも参加し、正式メンバーの打診もあったそうですが、ソロ活動を希望していた為、叶わなかったのです。

当時既にメンバー間のイザコザが絶えない状態でいつ、誰が抜けてもおかしくない状態であったため、ジョー・サトリアーニもあまり居心地が良くなかったのではないかとも思います。

その後、後任はスティーブ・モーズ(g)が加入するが、条件面でディープ・パープル以外の活動も許可されるなどかなり緩いものになっています。

Ritchie Blackmore’s RAINBOW


リッチーブラックモア BLACKMORE ポスター 11_10

その後リッチー・ブラックモアズ・レインボーとして1995年「孤高のストレンジャー」を発表する。

ツアーも行うが、1997年に活動を休止。

その後、キャンディス・ナイト(vo)と共にブラックモアズ・ナイトとして現在まで活動。

中世ヨーロッパの音楽を思わせる世界観でドイツ、チェコ、ロシアなどで支持されているようです。

レインボー名義で2015年と2016年に数回ライブを行っていますが以後も短期間のライブを行っています。

過去の作品のリメイクや、ブラックモアズナイトでの曲のリメイクを発表されてますが、デジタル/ストリーミング配信のみで、一部コンサート会場のみで販売があるものの、一般販売は現段階ではされておらず、個人的にも今後の発表に期待したいところです。

*スタジオアルバムのみ記載していますので、ライブ、コンピレーションアルバム、ビデオは割愛しております。

ユルゲン・ブラックモアって?

ユルゲン・ブラックモアというリッチー・ブラックモアの息子が活動していることは、ファンの間でもよく知られていましたが、1964年生まれで60歳!!
2009年に結成されたバンドが「OVER THE RAINBOW

レインボーの後継バンドらしいのですが、メンバーもヴォーカルにジョー・リン・ターナー、ドラムがボビー・ロンディネリ、キーボードにポール・モリス、ベースがグレッグ・スミスと元レインボーメンバーで固められているのがファンをニヤリとさせるところです。
どうやらユルゲン本人は乗り気ではなかったらしく、ジョー・リン・ターナーから何度も誘われ、1度だけの結成らしいのですが。


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